郷に入っては郷に従え、海外でも似たようなことわざはあるようで
まぁ世界共通の感覚なのでしょう。
ただ、最近は相手だって言葉がわからなくて大変とか、相手の立場に立ってみたいな話が出てきます。
相手への気遣いは大事でしょうが
一方でルール慣習に一方的に従わせるのも大事でなかろうかと思うときもあります。
うちの近所でも騒ぎ倒したり、散らかしたり、なんなら人を脅してみたり
もちろん日本語なんて話そうともしないですし、わかっていてもやめないのでしょう
ならば向こうの郷に合わせるのも手ではないかと思うのです。
たぶん、向こうの郷では相当に厳しい暴力などあるでしょうし、生命の危機すらあるかもしれません。
それがないから、たぶん何してもいいという感覚になる。
治安が良い国であるかもしれないけど、それはあなたには適用しないし
自分たちの生活環境を守るためであるというところでしょう。
自分の都合よく生きたいのであれば、それは私達にも適用されるべきで、好きに生きた結果あなたをどかします。でいい気がする。
治安がいい上に、暮らしやすい上に、自分が何してもいいのは成立しない。
あなたが何かを犠牲にするのなら、それはあなたが被るべき、そんな緊張感を持たせられればもっと包摂や寛容性が出てくるのかなと。
一方的に受け入れろ、考えろではいずれ破綻する。
どこかで排除の論理が通用するという安心感が、生きていきやすいコツなのかなと
あなたのところに私が行ったら、差別もすれば、暴力と隣り合わせの状況でしょう?
うちでは平和で差別も少ないからそれに合わせろは無理なはず
先人たちが作ってきたもの、それが明文化されていない、あるいは強く出てこないからと行って破って壊して良いわけはないし、
それは当然反発や排除に向かうはず。
自ら排除や反発を招いて、それをなくせというのはあまりにも無謀。
そういうのが仲間にいるのなら、まずはあいつは仲間でないと示したうえで理解を求めていかないと。
お題目では、みんな仲良くしないといけない。
でも、相手が仲良くしないのに、都合がいいのに、こちらが都合が良くないのはいずれ破綻する。
それは理解しておかないと。
そして、chromebookを買ったけど、たまに画面が消えるのはなんなんや。。。