大西議員ががん患者は働かんでええとヤジって大問題になった先ごろ
ほんまにこんなこと国会議員が言ったらあかんやろ。
みんながもっと自由に働けるようにしようやと言う流れのこの世界で、認められると思ったんかな
がん患者は働かんでええ、国が生活費や治療費やなんや面倒見たるから
これならまだましやった
ただ働くな。それは死ねと言っているのとあまり変わらない。お金がない人間が癌になったら死ぬべきやと。そう言ってるようにしか聞こえなかった。
議員としてはほんまに失格やなと思います。ある人が生きなくていいと言ったんやから。死んだらええやんぐらいのことを。ぐらいのことをね。
しかし、このニュースの後に聞いた民進党の野田幹事長の発言にびっくりしました
国会議員というか、人間が言うことかと
人間失格って、この発言のほうがあかん気がするのは自分だけなんでしょうか。
人間失格ってことは人格を認めない、人間として存在していることを認めないということだと思います。そういうことをどんな人間であれ人に言えるのはどうなのかと。
言ったらあかんことを言った人間がいることはわかります。でも、その人に掛ける言葉が人間失格なんやと。この党はそういう言葉を平気で使える人間の集団なんかなと思いました。誰も非難も止めもしてない。。。
悪いことをした人間に対しての諫言であったり、苦言というようなものはわかります。でも人間失格という攻撃はどうなんやろ。
人間失格というのは太宰治の小説のタイトルやけど、これはどちらかと言うと自分に向けた言葉やし、そもそもタイトルやから。
人に向けて言う言葉やないやろと、何度も何度も書きたいぐらい思います。
うちの子供に、こんな言葉使わせないようにと強く思いますし。
なんでこの言葉が非難もされへん、むしろヒーローかのように「よく言った!!」になるのか考えたら、小学校の時のいじめられた経験を思い出しました。
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みんながこいつをいじめてもいいと思っている状態、いじめの対象であることが多数の認識で共有されているとき、
その対象に対して何をしてもいいんですよね、どんな攻撃をしても許される。
通常の人間とくくられている人にはやったらあかんことでも、いじめの対象であれば許される。こわいですね本当に。
いじめという重い問題じゃなくて、普段の生活を見てもよくありますよね。
ちょっと悪いことをした場合に、善人っぽい人からとんでもない攻撃が飛んでくる。吊し上げて倒れるまで、いや倒れてからもボコボコにする。最後に人間であることまで否定される。
芸能人の不倫なんかもそうじゃないでしょうか。
悪いことをした人間は、好きなだけ気が済むまでボコボコにしてもそれが正とされているのが日本の社会なのかなと思います。
普通とかいうようわからん概念が強くて、そこから外れた人をボコボコにすることが快感。その日本人の習性がよく出た野田幹事長の発言なんかなと思います。
国会議員として、社会人として言ったらあかんことを言ったことに対して、生きていることそのものを否定する。
話がだいぶそれましたが
やっぱり人間失格がええ理由はわからんのです。
国会議員が人に対して人間失格と言う。じゃなくて、野田佳彦という人間がある一定の基準を持っていてそれを外れると人間失格と思っていることが問題だと思うんです。
この基準がどこにあるのか定かではありませんが、政権を狙ってる政党の要人が国民の何割かを人間失格と思って政治を行う。これって怖いですよ。
なんか困ってますとか言っても、お前人間失格やから聞かへん
とか
この政策はここには効果がありますが、この範囲にはダメージがでかいです。ときても、大丈夫、そこは人間失格やから何してもええ
そんなことをするんやと思うとゾッとします。
民進党、野田さんが思う普通の概念に入らんと徹底攻撃される。こんな怖いことないですよ。
集団的自衛権とか、共謀罪とか、民進党は本気で反対しているようには見えませんが
民進党が政権を取ったときに使いたいから反対を本気でせえへんのかなと思ってしまいます。
普通じゃない人を排除するのに使えますよね。あいつおかしい、なんかやろうとしてるはずや、ひっとらえろ!!
とか
あの国おかしいやろー攻撃したるでーー!!
とかやるために使えますから。
民進党を選ぶ国民も、幹事長とおなじようにあかんやつを徹底的に攻撃するのが好きな人間でしょうから、こういう法律はほしいでしょう。
そんなまぁ推測は置いといて
いくら悪いことを言うた人間やからって、その人間を最高に力強い人格攻撃の言葉を使って攻撃した行為に対して批判も疑問も湧いてこないこの国が怖いなと思った次第です。
なんか、考えがまとまらんけど、とにかく怖い。
悪いことをしたら、それ以上に攻撃される。もうなにもできひんやん。
だって自分は小学校の時にいじめられた人間で、おそらく人とは感性が違う。
他のやつがいじめられてたときに、「いじめられた側にも原因がある」ってのを聞いて
「アホなこというなや」ってところからはじまりましたし、先生もそうなると助けてくれないんですよね。
いじめられる側にも原因があるのが当たり前、という感覚が理解できない。
失言に対して人間失格は言い過ぎ。
競馬もギャンブルやけど、リスクが限られてるだけ人生という賭けの集合体よりはまし。
こんな感じで人と違う感性を持ってしまっているからこそ
今回の野田簡易長の発言は怖いし、これが認められる理由がわからんのです。
人間失格なんて生きている人間に対して言うことではないですよ。
議員として失格、まぁ資格があるかはわかりませんが、言ったらあかんことを言い過ぎという意味で駄目でしょう。でも、人間としてあかんわけではない。
悪いことを言ったんやから考え直せ、日本社会はその発言は受け入れられない謝罪を求めたい、それならまだわかります。でも人間失格は重すぎるんではないでしょうか。
少なくとも、子供には
悪いことをしても、そんなに攻めたらあかん。やり過ぎはあかんし人格の否定なんてやったらあかんとそう教えなあかんなと思いました。
強い立場になるとなんでもしたくなる、でも、そこはフェアにやれよと。
あと、強い立場は今だけでひっくり返ることなんてざらにある。謙虚に生きてればひっくり返るとかはあまりないぞと
そう教えたいですね。
うーん、文章力を挙げないといけないですね。思ったことが並んでるだけやな。