駅に行く途中の壁とかに「まっとうな政治」って書いた紙が多く貼られているのを見ます。今住んでいるところは民主党が強いところなので多いところなのでよく見るのかもしれません。
この「まっとう」って言葉は、小学校の頃いじめられていてた俺にはつらすぎる言葉やけど、一般の人はやっぱり普通とかまっとうとかに憧れがあるんかな。
いじめられると、普通にするってなんやろ、どうやったらあの「普通」ゾーンになれるんかなって考えるんですよね、普通じゃないまっとうじゃないからいじめられるんやと。みんなが何も考えずに使う普通とかまっとうっていう言葉の意味をすごく考えるんですよね。
で、至った結論は「普通」「まっとう」というものはこの世に絶対的に存在するものではなく相対的なものであり、「そんなものはない」というもの、相対的なレンジの話である。と。自分の中のものでしかなく、他の人と完璧に共有できるものではない。
全員に「普通」「まっとう」なものがあるということ。これに気づきました。
選挙の話になると、立憲民主党はうまいなと思いました。みんなもってる「まっとう」なことをやりますって言うてるんやから。何もしてないのと同じやのにすごい力のある言葉になったなと。
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この「まっとう」を実現するための手段がよく言っている「互いの違いを認め合う」ことなんやと思うけど、もう矛盾してるのかなと思います。
いまの政治を「まっとう」ではないと否定しにかかっているわけですよ。違いを認めあって前にすすめるきないもんね。全力で潰しにかかってる。この人達にできるんかな。互いを認めあうこと。
自分が至ったことは全員にまっとうというものがあるというところなんですが
たぶん周りの人は「まっとう」というゾーンが共有認識でそこから外れる人が以上と思っているでしょう。「まっとう」なんて考えなくてもわかるやん、考える必要がないやん、そんな人ばかりでしょう。
そんな人達がたぶんこの立憲民主党を支持しに行くと思うんです。
こうなると「互いの違いを認め合う」と「まっとう」は全く相容れなくなります。
まっとうなことをするということは、それ以外は異常と思う人達が多いわけで、そこで違いを乗り越えるなんてできるんかなと。そもそも、いまのものを異常として取り戻すとか言うてる時点で、もうあかんやろ。
これから多様性のある社会にどんどんなっていくと思うので、そんな社会では自分の立場をより具体的な言葉で説明できたほうがいいと思います。「まっとう」なんてよくわからん時代になるのではないでしょうか。
そんな中で旧時代的な「まっとう」で自分が普通、普通の人たちは虐げられてるとそう思っている人が集まっているのは怖いと思いますが
そういう人たちに違いを認め合う、普通なんてないよと教えられる党になれば、おもしろい政党になるかと思います。
まっとうに憧れる人たちに頭を使わせるような政党になればいいなと思います。
まっとうなひとたちにまっとうじゃないといじめられた経験があるので
まっとうで人集めをする奴らは許せへんし、あなた達は何も考えずにまっとうでいれてよかったねと思ってみていますが、
こういう人たちが具体的に考え始めるとおもしろい、そう思うので
この党には頑張って、全うを考える流れを作ってもらいたいと思います。
今まで通り、いわゆるまっとうな民衆(一部しかいないのにこれが当然と思っている人たち)に向けて耳障りの良い政治しかしないのなら、
さっさと消えてしまえばいい。
これからの時代にまっとうに憧れる、まっとうが絶対的に存在するものと考えているなら、本気で消えたほうがいいと思うし
うちの子供が大きくなるまでに、そんなまっとうが少数派になっていればいいなせめて。
民主党がんばれ、旧世代のみんなおなじでみんないい的な感覚を潰せるのは、まっとう大好きなあんたらしかおらへんで。