現代文の問題を解かせたら、作者も間違えた。作者はそんなこと思ってない。これは解答が間違っているみたいなエンタメを一時期よく見た気がします。
そして、いまもそれをひいて、現代文は答えがないみたいなこと言われますけど。
どうなんですかね。
うつ病、適応障害になって思うのは、現代文のできなさって、ただの言葉を使った攻撃になるのよね。
現代文って、論理学の一端を学ぶ教科でもあるし
一方でこういう表現なら対応する感情や気持ちはこうであると学ぶものなのかなと。古文の枕詞と同じで、こういうテクニックで考えるんですよという
攻略本というかルールブックを教えられる教科なのではないでしょうか。
現代文の問題を解かせたら、作者も間違えた。作者はそんなこと思ってない。これは作者の言葉のチョイスと技量が足りていなかったということで。いいんでないでしょうか。
まぁ現代文の問題は作品の切り抜きなので解釈が変わるのかもしれませんが。
こうした、「そう思って言っていない」みたいな言説に対して、それが通るのか、受け入れられるのかというのが現代文な気がするのです。
受験でも大変やけど、生活に直結するので頑張らないといけないのです。
多数のホモサピエンスが生きる社会を維持するには
言葉のルールは必要なのです。
この表現は最大表現のときしか使わないとか、接続詞の使い方で気持ちを表現するとか助詞の一つで文章が生きたり壊れたりする。それを学ぶ。
誤解を与えて申し訳ありません。ではなくて、言葉が下手で申し訳ない。
だし、むだに騒いで迷惑をかけたなら
読解力がなくて申し訳ない。
なのです。
各人にグラデーションがあるのはしょうがないけど
現代文を基礎に持っておくことで、しょうもない謝罪合戦とか非難合戦はある程度防げると思うし。生きやすくなると思うの。
相手から投げかけられる言葉が強すぎたら
心を壊しますが、それも現代文の力だと思うのです。最大限に使って攻撃してきているのですから。
現代文の時間、国語の時間。子どもの時間割見たら少ないんですよね。
国語ができないのに外国語は無理ですよ・・・翻訳的な自分の気持ちを伝えることは無理ですよ。言葉が理解できていないのに、その言葉の別表現である外国語意味ないよ。
社会の中の謝罪や避難から外国語教育まで
とにかくみんな現代文やろうよ。それでだいぶ社会は変わると思う。