ゆるストリームと子育て馬券

そのへんのおっちゃんです。 そのへんにいるどこにでもいるおっちゃん。 第三子が誕生し育児休業中。 エクストリームはできないのでゆるストリーム そして3児を育てるための公営競技予想

子どもがいないといけないと言っているわけではないのだが……

ほんまに子なし様への気遣いがいる世の中やなぁと。

子どもの話はあかんのに、子供がいないからできることは話してええんやもん。

たしかに、子供がおっても、世話をほったらかしにして誰かに任せるだけの金と、それができるような愛情を持ち合わせていればできる話をそちらがされているというのはあるけれども。

子どもは物理的存在やから、おらんのは明確になるからねえ。

 

仕事中も、感情の起伏があんまりないねえ

とかイライラしてる感じを出さないよね、年長者でないのに年長者感がある

とか言われたときに

子どもで理不尽さと自責の念を感じる機会が多いからですかね。

そういう感情の表出を防ぐ技術とか、相手への思いやりは自然と身につくのかもしれませんが

私は子供ができて、どうにもならんことを学びましたね。

と。。。

べつに子供がいないといけないとは断言していないのです。私は子育てから学びました。

 

仕事に集まっている周囲の人、関係者に気持ちよく働いてもらおうというのは

当然持ち合わせているべき感情で、それは子供の有無は関係なく

むしろ子供から学んだ私は程度が低いのです。

 

でも一方で、現場経験は子供がいることによって積めるので、経験値は溜まりやすいと思います。(必須とは言ってない)

昨今の子なし様や世間全体からの子供を持っている人間への当たりを見てみなよ。

 

子どものやることなすこと全部親の責任。なんで見ていないんだ。なんでそんな子供に育てたんだ。なんでそんなこともできないんだ。

うるさい、じゃまだ、ここには来るな、そういうのを受けてきています。

自責思考にしかならんのですよ。

子どもなんてそんなに大人のように育つわけではなく、そう作り上げていく作業が必要です。時間と経験とで成長をしていくのを見守り、サポートし、そして責任は引き受けないとならんのです。

 

親の責任が多く、社会の責任が、こと子育てに関しては下げられている気がするのです。

 

イライラしてもしょうがない、それでも私は教えていくし、それでも私は見守って今度は失敗しないよう見守るのです。

見守るか指摘するか、その指摘はどのトーンでいくか。すべて判断を求められるのです。

世間という審判者に、急に画像を取られたり、Xに載せられたり、社会のおもちゃにならないように

でも子供がガチガチにならないよう育てないといけないのです。

 

子どもがいないといけないといったわけではありません。普通に頭を使えば想像ができ、周りを見れば自重できるのです。ただ、子供がいることで私は乗り越えてきただけで。あなたがたは別の方法で乗り越え、身につければいいのです。

 

産めない自分の身になって考えろではなく、

相手は相手の考えがあるんやな、うちは子供がいないけど、そうなんやな

ぐらいでいいのです。