1991年生まれ、早生まれなので学年は90年の世代。ゆとり世代ではありますが
ぎりぎり土曜日の半日授業がありました。授業が終わってから新喜劇を見るというのがぎりぎりわかる世代です。
34歳になって社会人で干支が一回り。3社目になります。
初手で内定をもらえて給料が良いというだけで就活をサボり、100社受けて他に受からずITの会社へ。
プログラム書いたり、お客さん先へ行ったり色々しました。
泊りがけで始発で帰るなんてのがザラでとにかくしんどかった。どんどん人が増えていましたね。しかし、なぜか仕事が回らず。
思えば電車に吸い込まれそうになったりしていましたが、そこまで病気感はなく。楽しんでいました。
子どもができて子どもとの時間がほしいので転職。
4年間働いて、次の会社へ。会社の規模が数千人から100人弱とこじんまりしたところへ。
オーナー企業を味わいたかったのもあります。
まぁオーナー一家の意向が強いですね。お客さんの利益と口では言いながらも自分たちの家の利益、グループ会社が複数あってそちらへの利益の意識は感じました。
社会に対していいことをしているので、そこまで苦ではなかったです。
ただ、途中から、オーナー家の意向に口を出したり、お客さんの利益を代弁すると追放されたり、ハラスメントをしても気に入られれば偉くなれる土壌になってしまったので
ここで社会貢献はもう難しいんだろうなと考えて転職
今の会社に入ったわけです。
同じ業界の大手で給料も良くなる。
ということではじめはよかったのですが、つまづきました。
入る1か月前にメンタルやられた人の分を引き継ぎ、入って1ヶ月後にいろんな引き継ぎを受けていたり、情報を教えてくれていた人がメンタルをやられ休職。
とにかく引き継ぎをほぼ受けられず、
また、聞いてからやれと言われても聞く相手もおらず。
大手なので、手続きやレビュー体系ドキュメントの作成、ベンダーとの関係などもありますがこれもあまり引き継がれず。
ベンダー側も、こいつは頼めばやってくれると思ったのか、あなたの決断です感を出してきたり、他の人ならやることも、自分相手なら案出しをしなかったり守備範囲でないと主張したり。
で、仕事量的にもはじめから渡しまくる社風というか
メンタルで倒れたぶんを渡し、さらに入れていたコンサルも切って仕事量が増加。
コンサルを切るもんだから、引き継ぎもうまくいかず情報が錯綜(していたことにも気づかないほどでしたが)していて何をすればいいかわからず。
ただ、ベンダーユーザー同僚上司さらに上司から怒られいびられ。パワハラに該当する事案もなければ。優しくは言われていましたが追い込まれ。
子どもを怒鳴りつけるようになり、しばくようになり
会社に行くと動悸や頭痛でブルブル震え、頭も回らず
頭は回らないけど22時まで働いてどうにか仕上げ(いや、仕上げられず)
また朝から出社ということを繰り返していて、どうにもならず病院へ。
死にたい。電車に吸い込まれそう。でも子どもがおるから妻が居るからまだ死ねない。妻もフルタイムで働いてて自分が深夜に帰っても家事やらなんやらやって
イヤイヤ期の1歳後半を相手にしながら仕事をしている。
そんなのを見て、やはり死ねないし頑張らないといけない。
ネットで調べると適応障害とかうつ病とかに該当していそうやけれども
どんなものなのか、と思って予約の取れた心療内科。精神科へ
すごい根掘り葉掘り聞かれるのかとか
アドバイスなんかがあったりするのかと思ったのですが
他の病院と同じ
通勤のときに会社が近づくと吐き気や頭痛がすごい
常に仕事に追われている気がして寝られない、イライラし暴力的になっている。
症状を伝えたら病名の診断のようなものは特になく。
デエビゴという睡眠薬とアルプラゾラムという安定剤が処方されるだけ。
薬である程度落ち着けられるようになりました。
病名の診断はないので病気かどうかは確定ではないですし
状況的にもドクターストップがかからない状況のようです。
でも、小3、小1、2歳手前のイヤイヤ期と3人を抱え、夫婦ともにフルタイムで働いている状況では休めるわけもないです
しかし、休めないけど、周りの人たちのように倒れるわけにも行きません。
とにかく薬の力を借りながら寝て、ほんまに無理なら薬を試して職場に行き
なんとか労働をこなして
終わらないプロジェクトをひたすらタスクを片付けつつ対処
わからなかったら聞けと言われるが、聞いたらイライラMAXで接してくる同僚上司に
あたりまえのこともわからないのかと言われながら食い下がって助けを求める。
過去2社はオンボーディングに力を入れていたのでそれが普通と思っていましたが
もともとでかい企業の系列では、ホワイトですがそれは新卒に対して
中途入社はそこの常識にどうにかこうにか聞いて合わせる作業が必要。
たぶん辞めるんだろうけど、次がない状況では辞められない。
でも、辞めるにしても転職をする時間もない。
そもそも1年足らずで辞めるような35歳を信じて雇ってくれるのか。
景気がもっと悪くなる前に決めないと。
いや、有給が1ヶ月あるから、そこで一気に頑張ればいいのか。
ブランクがあると困るからできるだけ詰めるように。辞めると先に言ってしまおう。考えるのはそれからかもしれない。
ただ、辞め方がわからないのですよ。
面と向かって辞めますと伝える勇気もなくなってしまった。習字の進捗報告はビクビクしながら伝えやっぱり怒られ。
でもタイトル通り。働くのは辞められないし、倒れるわけにもいかない。
長欠にならないように気をつけながら、うまく凌いでいくしかない。
生きていればもう一度いい働き方ができる。そう信じるしかない。
3人も子どもがいる。子どもの手本になる立派な親ではない。
ただ、心に闇を抱えながら、体調に不安を抱えながら、それでも養っているんだ
両親は頑張っているんだということを感じ取ってくれればいいなと。
あとは、ここに来て高校の先生が卒業式の最後で伝えてくれた言葉が効いているなと。
「何があっても自分で死ぬようなことはするな。それだけは、ほんまにそれだけは。」
だから電車に吸い込まれずに、道路に吸い込まれずに、洗濯物を干しながらベランダの外に吸い込まれずに生きてこられた気がします。
心が弱いのはしょうがない。でもそれでも働くのは辞められない。
自分で会社を起こす勇気も、それに耐えるストレス耐性もないことがわかっているのだから。
労働しながら生き延びるまで。そう決意して。明日からまた頑張ろう。
有給休暇が、半期に一度の1週間連続で取れる休みが終わってしまった。
あした、溜まっている仕事
引き継ぎ不足で爆発している仕事
引き継がれて怒っている同僚とどう顔を合わせるか。謝るか。
それを考えると頭が痛い指導機はするし震えますが
そんなものはしょうがない。
無理なら薬を飲んで一つ一つ対処するだけ。
それだけ。
とにかく生きよう。まずは生きよう。
有給最終日、なぜか東海道線で遠くまで来てしまった。
子どものお迎えがあるから戻らないと。。。小学生は習い事もあるし戻らないと。
東京に、戻らないと。